日本人のムラ意識とコロナ

田辺市内でもコロナの感染が連日確認されました。対岸の火事として扱っていたコロナはもうすぐそばに来てしまったということで、不安な方も増えたのではないでしょうか。
私は必要性があるときのみ外出しているのですが、市民のコロナに対する意識の低さに愕然としています。こんな状況でも当たり前のようにパチンコに行く人や、マスク無しで外出している学生があまりにも多い。田舎のムラ意識の危険性や、どう対処すべきか、個人的な考えを書きます。

そもそもムラ意識とは何か。現代文の評論分的な言葉なので簡単に説明します。
日本は明治期以降、欧米化を意識してきました。洋服を着たり、パンを食べたり、私たちの生活の中には西欧の文化が根付いています。しかし、根本的に違うとされているのは宗教観です。西欧は主にキリスト教をはじめとする一神教を信仰する人が多く、日本は神道などの多神教信仰が多いです。現代の日本人は無宗教という人が多いですが、私たちの生活の中にはあらゆる場面で多神教的側面があり、例えばクリスマスやハロウィーンを楽しむのに正月やお盆も大事にするのは、一つの宗教の文化のみではなく様々な文化を取り組むという点でも多神教的と言えます。
一神教信仰において、個人は断絶しており、絶対に交わるものではないという考え方があります。友人や恋人と心を通わせたとしても、それぞれ絶対的に「個」でありひとつのものにはなり得ないということです。以前、「『愛』という概念は、交わらない『個』をつなぐものであり、『個』という概念を本質的に持たない日本人が『愛』を西欧人のように理解することは難しい」という趣旨の評論文を読みましたが、非常に興味深く納得させられました。
では日本はどうか。日本においては、古来から「八百万の神」といってあらゆるものに神が宿っていると考えてきました。「千と千尋の神隠し」でもそのような神々が描かれていましたね。日本人は農耕民族として生きてきたので、自然環境は生活に直結します。その自然環境のあらゆる事象に神を感じ、信仰してきたのでしょう。
多神教信仰としての日本の特徴は、一神教信仰における「個」に対して、「あらゆるものごとはつながっている」という感覚をもっているということです。これが「ムラ意識」につながります。このムラは物理的な集合体としての「村(village)」ではなく、精神の集合体としての「ムラ」です。物理的な村も「集合体」というような意味があり、例えば「群がる」の「ムラ」も同様の語源を持っていると考えられています。よく、「日本人は集団性が強い」と言われるのも、この「ムラ意識」がいまだに文化の中に存在しているからでしょう。

説明が長くなりましたが、ここから私が懸念していることについて書きます。日本人は、この「ムラ意識」を都合よく拡大したり縮小したりします。日ごろの生活では「日本」を意識しませんが、昨年のラグビーワールドカップにおいては、ラグビーを知らない人ですら日本を背負っているというだけで誰もが熱狂しました。これは、ムラを「日本」という規模に拡大し、日本国籍を持たない代表選手も含めて仲間としていると考えたからでしょう。
逆に、今回のコロナウィルス感染拡大に対してはマイナス方向に働いています。感染者が発覚しても、それをムラの外の話として都合よくとらえようとしてしまっています。田辺市内で感染が確認された方は、「京都産業大学所属の学生」だったり、「京都で感染した宗教関係者」だったりと、私たちの意識の中で「京都」という外部の要素を強調して認識してしまっています。しかし、重要なポイントは「その感染者が田辺市内で生活している(していた)」ということです。田辺市内で生活している(していた)ということは、市内のどこかしらにウィルスが存在しており、感染のリスクが十分にあるということです。先日のファミリーマートやよってってで勤務されている方々の感染も、「そこに行ってないから自分には関係ない」という話ではないのです。そこに行った人とどこかで接点をもったかもしれない。今回のコロナウィルスの怖さは、「無症状の人もいる」ことと、「潜伏期間がある」ことです。今は症状がなくても、すでに感染しているかもしれないのです。

「自分が感染しないようにする」のが従来の感染予防ですが、今回に関しては「自分が感染している前提で、人に移さないこと」が大切です。私たちはすでにもう感染している可能性がある。そして、感染しているならば身近な人たちへ感染を広げてしまうリスクがあります。マスクは感染しないためでなく、人に移さないために必要なのです。
保護者の方は、「学校が休校になることで勉強に遅れがでるのではないか」という心配をお持ちかもしれません。でも冷静に考えると、学校の授業で学ぶことが身についていないから塾に通うのです。学校があっても、そもそもそれで学力が保たれているわけではありません。授業が必要ならばスタディサプリなどを試してもいいですし、そもそも授業がなくても参考書や問題集で十分学習できます。というより、参考書や問題集で学習できない人が合格できるほど大学受験は甘くないです。お子さんが自分のチカラを試すには良い機会ではないでしょうか。何よりも、大学受験の勉強と身近な人々の命を天秤にかけて、大学受験の勉強が勝つのはおかしいことです。コロナウィルスを甘く見ています。高校生に学習の指導をするプロとしては、コロナを無視して勉強するよりも、コロナについて真剣に考え、これからの時代にどのような変化が起きるのか、自分はその時代をどう生きていくのかを学生たちに考えてもらいたいと思います。その、正解のない思考の機会は、必ず学習においてもプラスに働きます。勉強は知識を脳に蓄えることで、そのために脳を鍛える方法は学習だけではないのです。
次回の記事では、コロナによって社会がどう変わるか、について自分なりの考えを述べようと思っています。お楽しみに。

本日のポイント
・日本人は多神教信仰のなかで作られた文化や価値観で暮らしており、集合体としての「ムラ意識」を持っている
・「ムラ意識」は都合によって拡大、縮小する
・コロナウィルスに対しては都合よく解釈せずに、考えられる最善を意識して行動する
・アフターコロナやウィズコロナを考えることは脳を鍛えることにも繋がる