山田の受験記②

久しぶりのブログです。

受験をすることに決めた山田少年のその後について。

 

 

1学期の途中で大学受験を決意した山田少年。

しかし、「今日から頑張るぞ!」という気合もなく、

夏休みからスタートすることにしました。

 

青山学院を志望した理由は前回の記事で書きましたが、

とりあえず、兄からもらった参考書に目を通してみたものの、

何からどう手をつけていいか分からない!

 

英語は1年から塾に行っていたので、

(全くやる気はありませんでしたが)

塾を信頼するとして、他の教科をどうしようかと考えました。

 

 

そこで、周りに聞いたり見回して、

みんながどんな参考書を使っているか調べることに。

 

当時は、まだガラケーの時代。

YouTubeも今ほど身近なものではありません。

 

とにかく頼れるのは周りの人しかいませんでした。

そこで、ある程度人気の参考書が分かってきます。

 

古文単語のゴロゴや、出口の現代文など。

そして私は、持ち前の天邪鬼ぶりを発揮し、

「みんなが使っていない参考書にする!」

と決意したのです(笑)

 

でも今振り返ると、その作戦は悪くなかったように思います。

というのも、多くの受験生が

「周りが使っているから良い参考書」

と考えて参考書選びをしています。

 

しかし、個々の学力や参考書のデザイン、

解説の丁寧さや著者との相性など、

参考書との相性は人によって異なります。

 

にもかかわらず、受験生は参考書選びひとつにおいても、

「間違えたくない。正解があるはず。」

という考えに陥りがちです。

 

その結果として合わない参考書に無駄な時間を割いてしまうのです。

私は、「人と違うものを選ぶ!」と決めたことで、

自分に合いそうなものを丁寧に選ぶことができました。

 

自分に合うものを選べたら、

あとはその参考書を信じて丁寧に勉強するだけです。

もちろん、実際にやってみると「思ってたのと違う」

となることもあります。

 

その時は、すぐに別のものに変えて、

とにかく「勉強しやすい」ということを最優先にしていました。

参考書が合わなくて買いなおしても1,000円程度です。

田辺市の塾の平均単価を15,000円として、

週2回の授業を行っていると仮定したら、

一回の授業は1,700円程度かかります。

 

一回の授業を受けることと、参考書一冊を買い替えること。

どちらがコスパが良いか、考えるまでもありません。

塾に通っている学生は、その一回の授業に

それだけお金がかかっていることを意識してください。

適当に聞いてる授業一回で、親が苦労して働いて稼いだお金を

2,000円近くも捨てていることになるのです。

 

 

参考までに、使っていた参考書を紹介します。

一番苦手だった国語の現代文は、

レベル別問題集の一番簡単なものから。

出口は周りが使っていたし、解説に納得できなかったので却下。

マイナーでしたが、「板野の極める現代文」というものを使ったと思います。

「古文の板野をあえて現代文で使う!」

というところが気に入ってました(笑)

「こんなの誰でも解けるやろ」

ってレベルから始めるのが大切です。

古典は、誰も使っていないし丁寧な解説だったので、

「マドンナ古典文法シリーズ」を使いました。

単語帳も語数は少ないですが、マドンナにしました。

日本史は、王道ではありますが、

圧倒的な知識量で最後まで使えるので、

「石川の実況中継」を読むことに。

結局、日本史は最後までこの参考書しか使いませんでした。

 

 

夏休みに入り、毎日ビッグUに通いました。

勉強することに慣れていませんでしたし、

周りに勉強している人がいるとやる気も出ますからね!

 

その時の勉強のポイントは、

①友達と群れない

②夏休みを逆算して、1日の学習量を決める

③集中できない時はすぐ休憩する

といったところです。

 

昼前に行って、途中に休憩もしていたので、

だいたい1日の勉強時間は6時間から8時間くらいでしょうか。

 

とにかく時間よりも集中度合いにこだわりました。

冗談のような話ですが、

「集中しきったら鼻血出るはず!」

「鼻血でるくらい集中するぞ!」

というつもりで勉強していました(笑)

ちなみに鼻血は出ませんでした(笑)

 

 

家に帰ってからは一切勉強しません。

ゆっくりお風呂に浸かったり、

好きなテレビを見たりしてリラックスします。

23時くらいには寝ていて、健康的な生活だったと思います。

脳科学的にも、リラックスする時間は大切なので、

ぜひ参考にしてください!

 

 

そんな勉強の日々を過ごし、

夏休み明けくらいの模試でいきなり

「青山学院 B判定」

が出ました。

 

 

それが悲劇の始まりだったのです…。