知識を蓄えるだけではダメ

今回は、知識についてです。

「知識=学力」という感覚はみなさんお持ちかもしれません。

でも、それでは大学受験に通用しないよというお話をしていきます。

 

日本では戦後から、「知識を詰め込む」という方針での学校教育がすすめられてきました。

それに対し、自分たちの権利を勝ち取ってきたフランスやイギリスは、教育についても大切な権利として重んじ、知識を与えることはもちろん、自らが考えて判断できる人を作るために思考力も育まれてきました。

日本はそうした背景がないために、あくまで形式的なものとして公教育の整備が行われてきたように思います。

「知る機会を与えられなかった」という不平等を無くすための公教育というイメージです。

そのため、「思考力や表現力を鍛える」という中身よりも「知識を提供した」という形が重視されていることが多いです。

 

しかし、グローバル化が進んだことによって、そのような知識の詰め込みで対応できる社会ではなくなってきました。

そこで2021年から、センター試験が共通テストというものに変わったわけです。

 

共通テストに変わって数年になりますが、試験が変わったからといって学校教育の場で思考力や表現力が急に養われるわけではありません。

学校が教え方や授業を工夫したところで、小学校から「知識を蓄えること=勉強」という考えが染みついてきた学生にとっては、思考力や表現力を意識する余裕はないです。

しかしながら、大学入試の試験そのものは思考力や表現力を求めるものが増えてきています。

推薦制度での募集枠が増えていることもまた、そうした背景によるところもあると考えられます。

 

これからの受験を見据えて、学生自身が知識を詰め込むことだけでなく、深く考えたり様々な観点からものを見たり、それらを言葉にして伝えていく心掛けが大切になってきます。

勉強をするときにも、「これを覚えなければいけない!」と必死になるのではなく、「この知識はどんな問題で出題されるかな。」と想像しましょう。

「この問題は知らないから解けなかった」ではなく、「自分が持っている知識でどこまで対応できたのか。」をしっかりと分析するようにしましょう。

知識そのものを固定的なものとして丸暗記するのではなく、姿かたちを変えられる道具として身につけることで、様々な問題に対応できるようになります。

ComSでは、そうした単純暗記に偏らないように言語化タイムの中で丁寧に確認するようにしています。

理由が分からないけど覚えたから正解するよりも、自分なりに考えた結果として不正解する方が圧倒的に重要だからです。

 

英文法を覚えるときは、似た表現や紛らわしい文法との違いを問われることを想定して覚えることが必要ですし、例えば歴史なら、色んなことが立て続けに起こる時代は順番を整理して覚えなければいけません。

知識を単純に100覚えていても、使いこなせなければ50の力しか発揮できないかもしれません。

逆に、知識が70しかなくても、それを90%使いこなせるならば、そのほうが点数は上がりますよね。

 

知識を蓄えることは目的ではなく、問題を解くための手段です。

単なる知識だけでなく、様々なテクニックや細かな意識の工夫も含めて、総合的につくられるのが入試問題です。

常に問題を想像しながら勉強することで、本当に必要な学力を身につけられるのではないでしょうか。